ハイ三好です。
皆様は今までの人生で後悔している出来事はありますでしょうか?
私は、後悔していることというのが、正直あまりありません。笑
どんだけ楽天家なんだと思われてしまいそうですが、本当に記憶にありません。
ただ、反省した出来事は数多くあります。
もちろん、そういう時は落ち込むし、クヨクヨする時もあります。
ですが、落ち着いたら
「あの時失敗したから、次はこうしよう」というように
反省点を見極めて、将来に生かせるよう、受け止めることにしています。
私の中で後悔に近い感情で「たられば」という状態があります。
これは過去にも未来にも当てはまります。
過去に対して”たられば”を使う時は大抵、後悔の感情が含まれています。
「もしあの時~していたら」
「~していなければ」
これはどちらも過去を後悔している状態ですね。
その一方、未来の話では
”たられば”は少し意味が変わります
「もしあの人が~したらうれしいなぁ」
「もし~がなければ失敗する(成功する)」
というように自分以外の何かによって
結果が左右されてしまう状態で人々はこういった考えを思うわけです。
私の前職の証券会社でもこういった会話が多くなされていました。
特に多かったのが以下のような会話
上司「今日の目標は達成できそうなのか?」
部下「株が上がったら、達成できると思います」
もしくは
部下「○○様が購入してくだされば、達成できます」
このような会話をよく聞きましたし、自分も行っていました。
ただ、こういう会話をしている時点で
だいたいの営業マンは目標を達成できません。
将来に対して”たられば”を使う時、というのは
結果が自分のコントロール外の時に使うからです。
株が上がったら、
○○様が購入してくだされば、
最終的には、これらは自分自身で決めることができない出来事です。
言ってしまえば、
”たられば”=”わからない”
と同じ意味だと思っています。
たられば、を言っている時点で
それは自分自身で確信が持てていないことと同じです。
たられば、を言うまでに自分自身ができる限りの行動をしたのか。
そちらに力を注がなければいけません。
そして自分が全力を出している時
人は”たられば”という言葉を使わなくなります。
「ここまでやったから、大丈夫。」
「納得していただけたので、購入していただけると思います。」
というように
”たられば” ではなく ”から、ので”
という言葉になります。
”たられば”の数は
後悔と怠惰の数。
そんなことを考えていると、
私の母校の奈良県立斑鳩南中学校のスローガンをふと思い出しました。
「反省しても、後悔するな!」
今でも変わってないのかな。
今日はこの辺で。